東京ドーム野球ファン情報

東京ドームの歴史

熱闘 プロ野球史で綴る後楽園球場&東京ドーム

第3期 変革期 1965年~1987年

column03 ドラマと記録を支えた「劇場」

長嶋茂雄引退セレモニー

テレビの発達もあり、日本のプロ野球は娯楽の王様となった。

昭和40年からは東映フライヤーズ(日拓ホーム・フライヤーズを経て、現日本ハム・ファイターズ)が後楽園をフランチャイズと定めた。

そして同じ40年から、日本のプロ野球界はひとつの黄金時代を迎える。巨人の「V9」の始まりである。その巨人の偉業を支えるように、後楽園もその舞台にふさわしい環境を整えた。41年には内野ダイヤモンドを芝に変更している。この時代の後楽園を愛するファンは多い。内野が芝に張りかえられたことにより、後楽園の持つ雰囲気はメジャーリーグの球場のような洒落た雰囲気を持つようになった。土のグラウンドよりも明るく、ベースボールを楽しめる雰囲気を醸し出していた。

このメジャーを彷彿とさせる球場で、巨人は無類の強さを誇り、そして数々の記録を樹立した。昭和44年には大投手金田正一が日本人としては前人未到の通算400勝を達成する。この記録を達成した瞬間、金田は帽子の上で両手を合わせるようにして、静かに喜びを表現した。

しかし後楽園が最も劇場化したのは昭和49年10月14日だろう。「ミスター・ジャイアンツ」、長嶋茂雄の引退試合である。ダブルヘッダーで行われたこの日、第1試合が終了した後、長嶋はグラウンドを一周し、後楽園に集ったファンに最後の挨拶。そして陽は西に沈み、ピッチャーズ・マウンドにたったひとりたたずむ長嶋。

「わが巨人軍は永久に不滅です」

後楽園に集ったファンは涙に暮れた。

そして長嶋が監督に就任し2年目の昭和51年、後楽園球場は日本で初めとなる人工芝を敷設し、これによってスピードが重視されるようになり、野球の質が変わる。

一方で王貞治は後楽園で世界への道をひた走る。人工芝元年の51年10月11日には球聖ベーブ・ルースの記録を超える715号をマーク、そして翌52年9月3日にはハンク・アーロンが持つ世界記録を超える756号を後楽園のライトスタンドに叩きこみ、「世界の王」は真の意味で世界の頂点を極めたのである。

数々のドラマを支えた後楽園球場。しかし昭和62年、東京ドームへ移行のため、後楽園はその役目を終える。これだけ惜しまれたボールパークは他にないだろう。

生島淳/Jun IKUSHIMA
1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。在学中にFEN放送でNBAと出会う。'93年からス ポーツライターとして活動を開始し、アメリカスポーツ、相撲などを中心に執筆。著書に『NBAワンダーランド』(徳間書店)、共著に『ラグビー最前 線』(双葉社)などがある。