後楽園ホールアーカイブス

後楽園ホールの格闘史(~2009年)

1990年~1999年

ボクシング プロレス
1990年 2月7日 150年にひとりの天才と謳われた大橋秀行が、WBC世界ストロー級王者 に挑戦。9回でKOし王者へ。
1990年9月30日
ジャイアント馬場、デビュー30周年記念特別試合、アブドラー・ザ・ ブッチャと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン組と対戦。
9月11日 空前のスター候補、辰吉丈一郎が大阪からやってきた。わずか4戦目で日本バンタム級王者、岡部繁に挑んだこの一戦、辰吉は超常のセンス、スキル、パンチを存分に見せつけ、4回KOで打ち倒した。世紀末のボクシング界を引っ張った辰吉が、8戦目で世界バンタム級王座に輝くのは、この1年と1週間後のことだ。
10月27日 大橋秀行の2度目の防衛戦。相手はリカルド・ロペス(メキシコ)。ロペスの堅実な巧、日本刀のようによく切れるパンチに、5回、大橋はついにつかまり、右をカウンターされてダウン。ロペスはその後、21度防衛の名チャンピオンとなった。
1991年 3月18日 鬼塚勝也の人気が炸裂していた。現代風であり、はたまた昔気質のストイックも併せ持つ。そしてリングの中の戦いは常に過激だった。自分が日本J.バンタム級王座から追い落とした中島俊一との再戦は、鬼塚の攻撃力が上回り、判定勝ち。『世界』への弾みをつけた。
1991年
新生UWFの会合で前田が解散宣言。新UWF藤原組、UWFインナーナショナル、リングスの3団体に分かれる。
1991年8月
世界格闘技連合W★INGが後楽園ホールで旗揚げされた。
12月19日 日本チャンピオン同士がノンタイトルで対戦。J.ミドル級の上山仁は、過去に一度痛烈なKO負けをしているウェルター級の吉野弘幸を相手に、雪辱に燃える。正攻法で立ち向かった7回、左フックでカウンター勝ち。上山はこの後、タイトルを守り続け、防衛記録は20まで伸ばした。
1992年 10月20日 ロシアから日本にやってきた勇利アルバチャコフの強さは、センセーショナルだった。正確無比な動きとパンチ、テクニックでファンを集め、WBC世界フライ級チャンピオンとなった勇利の初防衛戦。粘り強い韓国人・陳潤彦に対し、容赦なく右ストレート、左フックを叩き込み、3度のダウンを奪う快勝だった。
1992年 6月
ジャパン女子プロレスの崩壊によって、女子プロ界も団体乱立の時代へ。90年代の女子プロは、ブル中野、アジャ・コング、神取忍、北斗晶、キューティ鈴木らが人気を呼ぶ。
1992年8月29日
神取忍、風間ルミ率いるLLPWが後楽園ホールで旗揚げされた。
1993年
新しい格闘技K-1のブームが起こる。
1993年 6月5日 日本ストロー級王座決定戦は、江口九州男と江口勝昭の実の兄弟同士で争われた。『兄弟仁義』のメロディーに乗って両者は入場し、観客は沈黙。6回、兄の九州男が放った右アッパーで、TKOで試合は終了。会場のいたるところから一斉に安堵のため息が漏れた。
6月17日 のちに世界チャンピオンとなる畑山隆則が、福村和宏とのデビュー戦を4RKOで飾る。
1994年 8月6日 日本チャンピオン同士が激突する好カード。圧倒的な強打で人気を勝ち取ったライト級王者の坂本博之と、アマチュア経験豊富なJ.ウェルター級王者、桑田弘の一戦。技とパワーが交錯する白熱のラウンドの後、坂本が10回TKOで決着をつけた。
12月5日 のちのWBC世界スーパーフライ級チャンピオン・徳山昌守が、プロ2戦目の試合で宮田公章と対戦し4ラウンド判定勝ちを収める。新人の頃から独特のアウトボクシングで注目を集めていた徳山は、日本フライ級タイトル挑戦に2度失敗しながらも1999年に東洋太平洋タイトルを獲得し、その翌年、世界王者の座についた。
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  • 写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン
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