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後楽園ホールの格闘史

1990年~1999年

  • ボクシング

  • プロレス

1990年 2月7日

150年にひとりの天才と謳われた大橋秀行が、WBC世界ストロー級王者 に挑戦。9回でKOし王者へ。

9月11日

空前のスター候補、辰吉丈一郎が大阪からやってきた。わずか4戦目で日本バンタム級王者、岡部繁に挑んだこの一戦、辰吉は超常のセンス、スキル、パンチを存分に見せつけ、4回KOで打ち倒した。世紀末のボクシング界を引っ張った辰吉が、8戦目で世界バンタム級王座に輝くのは、この1年と1週間後のことだ。

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『浪花のジョー』と親しまれた辰吉丈一郎が初めて後楽園ホールに登場。徹夜組も出るほどの人気を博した一戦は、4回KOが決まった瞬間、評判通りの大物ぶりに沸いた。

10月27日

大橋秀行の2度目の防衛戦。相手はリカルド・ロペス(メキシコ)。ロペスの堅実な巧、日本刀のようによく切れるパンチに、5回、大橋はついにつかまり、右をカウンターされてダウン。ロペスはその後、21度防衛の名チャンピオンとなった。

1991年 3月18日

鬼塚勝也の人気が炸裂していた。現代風であり、はたまた昔気質のストイックも併せ持つ。そしてリングの中の戦いは常に過激だった。自分が日本J.バンタム級王座から追い落とした中島俊一との再戦は、鬼塚の攻撃力が上回り、判定勝ち。『世界』への弾みをつけた。

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鬼塚はこの1年後、世界J.バンタム級チャンピオンとなる。一途なほどの全力ファイトで女性ファンを魅了した鬼塚は、川島郭志、ピューマ渡久地とともに、「平成の三羽烏」として期待を集めた。

12月19日

日本チャンピオン同士がノンタイトルで対戦。J.ミドル級の上山仁は、過去に一度痛烈なKO負けをしているウェルター級の吉野弘幸を相手に、雪辱に燃える。正攻法で立ち向かった7回、左フックでカウンター勝ち。上山はこの後、タイトルを守り続け、防衛記録は20まで伸ばした。

1992年 10月20日

ロシアから日本にやってきた勇利アルバチャコフの強さは、センセーショナルだった。正確無比な動きとパンチ、テクニックでファンを集め、WBC世界フライ級チャンピオンとなった勇利の初防衛戦。粘り強い韓国人・陳潤彦に対し、容赦なく右ストレート、左フックを叩き込み、3度のダウンを奪う快勝だった。

1993年 6月5日

日本ストロー級王座決定戦は、江口九州男と江口勝昭の実の兄弟同士で争われた。『兄弟仁義』のメロディーに乗って両者は入場し、観客は沈黙。6回、兄の九州男が放った右アッパーで、TKOで試合は終了。会場のいたるところから一斉に安堵のため息が漏れた。

6月17日

のちに世界チャンピオンとなる畑山隆則が、福村和宏とのデビュー戦を4RKOで飾る。

1994年 8月6日

日本チャンピオン同士が激突する好カード。圧倒的な強打で人気を勝ち取ったライト級王者の坂本博之と、アマチュア経験豊富なJ.ウェルター級王者、桑田弘の一戦。技とパワーが交錯する白熱のラウンドの後、坂本が10回TKOで決着をつけた。

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坂本博之はその男気を全身から発散し、いまだに高い人気を誇る。この後、畑山との世界戦で敗れるが、2002年1月の再起戦で復活KOに。

12月5日

のちのWBC世界スーパーフライ級チャンピオン・徳山昌守が、プロ2戦目の試合で宮田公章と対戦し4ラウンド判定勝ちを収める。新人の頃から独特のアウトボクシングで注目を集めていた徳山は、日本フライ級タイトル挑戦に2度失敗しながらも1999年に東洋太平洋タイトルを獲得し、その翌年、世界王者の座についた。

1995年 12月11日

WBC世界フェザー級タイトルマッチでルイシト小泉(比国)が挑戦者マヌエル・メディナ(メキシコ)に判定勝ち。のちにS.フェザー級タイトルも獲得し、2階級を制覇した。

12月19日

日本ボクシング史上、もっとも偉大な出来事と言われたWBA世界ミドル級タイトルマッチが行われた。WBA王者ホルヘ・カストロ(亜)に竹原慎二は最後までひるむことなく応戦。文句なく判定勝ちし、見事に偉業を達成した。

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3回、キャリア100戦でKO負けの経験のないWBA王者ホルヘ・カストロのボディに、竹原がものすごい左フックを埋め込んでダウンを奪い、場内は総立ち。その後も真っ向から挑み、判定勝ち。

1996年 3月18日

無傷の15連勝、10連続KOでスターダムに駆け上った畑山隆則が、初めてのタイトルに挑戦した東洋太平洋J.ライト級王座決定戦。韓国の崔重七と対戦し、一気にTKOに追い込んで王座を獲得。2年後、畑山はWBA世界S.フェザー級王座、2000年にはWBA世界ライト級王座も獲得し、2階級制覇を成し遂げた。

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この時、若鮎のように弾ける闘志が眩しい畑山だった。2年後、畑山は世界の頂点に立ち、2度目の防衛戦で陥落するが、2000年には世界ライト級王座に就き2階級を制覇。2001年7月、3度目の防衛で判定負け。2002年、惜しまれつつ引退を表明した。

12月9日

ホール最大の人気者のひとり、コウジ有沢対過去2度世界挑戦の実績を持つ竹田益朗との一戦も打ちつ打たれつの壮絶な戦いになる。竹田のシャープなパンチに何度も窮地に立たされた有沢だったが、9回に右ストレートが炸裂し、勝利を手に入れた。

1997年 6月16日

10度目の防衛戦となる日本ライト級王者で米軍兵のリック吉村が、カズ有沢と対決。J.ライト級日本王者のコウジと双子のカズは、リックの繊細に組み立てられたボクシングに歯が立たず、3回、強打を浴びてTKOに。

1998年 2月24日

日本ストロー級チャンピオンの星野敬太郎は、鈴木誠を相手に3度目の防衛戦を行い、9回TKO勝ちする。星野はこの後、目標を見失って一度は引退したが、カムバックして2000年12月に世界王座に輝いた。初防衛戦で敗れるも2002年1月に奪還。

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技巧派として安定感を見せていた星野は、典型的なスラッガータイプの鈴木を寄せつけない。鈴木の単調な攻撃を巧妙にやり過ごし、9回TKOに。のちの2000年12月、世界制覇を果たした。

1999年 3月6日

サウスポーのセレス小林は保持する日本フライ級王座をプロ3戦目の石原英康と争ったが、キャリアの差で試合を完全にコントロール。7回、スタミナを失った石原に、連打を集めてそのままTKO勝ち。

1990年 9月30日

ジャイアント馬場、デビュー30周年記念特別試合、アブドラー・ザ・ ブッチャと組んでアンドレ・ザ・ジャイアント&スタン・ハンセン組と対戦。

1991年

新生UWFの会合で前田が解散宣言。新UWF藤原組、UWFインナーナショナル、リングスの3団体に分かれる。

8月

世界格闘技連合W★INGが後楽園ホールで旗揚げされた。

1992年 6月

ジャパン女子プロレスの崩壊によって、女子プロ界も団体乱立の時代へ。90年代の女子プロは、ブル中野、アジャ・コング、神取忍、北斗晶、キューティ鈴木らが人気を呼ぶ。

8月29日

神取忍、風間ルミ率いるLLPWが後楽園ホールで旗揚げされた。

1993年

新しい格闘技K-1のブームが起こる。

1995年 4月15日

長与千種率いるGAEA JAPANが後楽園ホールで旗揚げされた。

1996年 9月26日

ジャイアント馬場、デビュー36周年記念試合が行われた。

1997年 4月

元オリンピック選手の小川直也がプロ格闘家に転向、新日本に殴り込む。

1998年 1月23日

ジャイアント馬場、還暦記念試合が行われた。

アントニオ猪木、長州力が現役を引退する。99年2月前田日明、同年3月ジャンボ鶴田が引退。

写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン

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