後楽園ホールアーカイブス

ザ・インタビュー

神取忍 「何度やっても後楽園ホールの試合は独特の緊張感がある」 人呼んで”ミスター女子プロレス”!性別すらも軽々と越えて”強さ”を体現して見せる神取忍さん。批判と偏見にさらされながらも、女子プロレスの歴史を更新し続けてきた問題児にして革命家。そのルーツは16年前の後楽園ホールにあった――。

それは常識が覆された瞬間だった。1986年8月17日。女子柔道全日本選手権3連覇の実績を引っさげてプロレス界入りした神取忍は、メインイベント出場という破格のデビューを果たす。当然、業界に軋轢を生んだ。いわく「いくら柔道が強くたって、プロレスは簡単にできるもんじゃない」。だが、神取は試合内容でそんな声を黙らせたのだった。これまでの女子プロレスにはなかった力強さ、迫力、そして緻密な格闘テクニック──。女子プロレスのスター=少女たちのアイドルという固定概念は、神取によって破壊された。
 それ以後、神取が繰り広げたのは凄惨なケンカマッチであり、チェーンデスマッチであり、バーリ・トゥード(ポルトガル語で"全て有効"を意味するブラジル発の格闘スタイル。目潰し、噛み付きなど必要最低限の反則以外は"なんでも有り"で行われる)だった。そのすべてが"女子では初"の冠付き。そして極め付けは男子プロレスラーとの壮絶な死闘。神取のプロレス人生は、そのまま「そんなことできっこない」という"常識"との闘いでもあったのだ。

デビュー戦が後楽園ホール あの緊張は今でも忘れない

後楽園といって今でも思い出すのは、ジャッキー佐藤さんと闘ったデビュー戦だね。ジャパン女子の旗揚げ戦のメインイベント。結果的に「今だかつてない名勝負」なんて評価をしてもらったけど、それは華やかなものだけじゃなく、格闘技として、"闘い"として見せることができたからじゃないかな。それまでの女子プロレスは、より派手に見せるのが当たり前だったけど、私とジャッキーさんがやったのは、お互いスキを見せない闘いだった。それが新しかったんじゃないかな。肉体的なアスリートとしての完成度、パワーも女子のレベルを超えてたと思うよ。結局、私が負けたんだけど、デビュー戦で20分以上も試合して、その間ずっとお客さんの目を引き付けることができたっていうのは自信につながったんだ。

その反面、試合前の軋轢もあってね。柔道から鳴り物入りで入ってきて、しかもデビュー戦がメインでしょ。やっぱり業界内、選手や関係者にはおもしろく思わない人が多かったんだね。「あいつが(プロレスを)できるわけないよ」って。この世界は「練習生から入って付き人やって、下積みから叩き上げるのが女子プロ」という常識があったから。当時は全日本女子しかなくて、ひとつの価値観しかなかったしね。でも私は「そんなの関係ないよ。試合でそれを見返してやろう」っていう気持ちが強かった。いま思えば「ザマーミロ!」って感じだよね(笑)。

試合ももちろん緊張したけど、後楽園ホールという会場そのものの緊張感が今でも頭に残ってる。四方八方どこでも見やすい、あの雰囲気は独特だよね。何回やっても、それだけは変わらないね。もうデビューして15年もたつのに、未だに慣れないもん。今でも月イチくらいで出てるんだけど、緊張感は失われないんだよね。また客席もね、いつも来てくれる常連さんがいるんだ。結構リング上からでも分かるのよ。常連さんっていうのは、目が肥えてるわけでしょ。そういう人たちの前でヘタな試合はできないし、いつもと同じ試合をしてたら飽きられちゃう。そういう部分でも後楽園は緊張感があるのかもしれない。

やっぱり後楽園はこの世界の中心っていうか、外せない部分があるよねぇ。ボクシングの聖地ってよく言われてるけど、プロレスにとっても聖地だと思うよ。私にとってはデビューから一番多く試合した場所でもあるし…。LLPWの旗揚げ戦も後楽園ホールでやってるんだよね。あのときはメインで風間ルミと対決したんだけど(1992年8月29日。神取が勝つ)、今年はLLPW10周年という節目の年にあたるから、後楽園は特別な場所なんだ。
 会場入りして練習した後は、控室の畳のスペースで横になって出番を待つっていうのがいつものパターン。で、いざ試合の時に、花道に続いている階段を昇りながら精神を集中するというか、人格が変わるね(笑)。
 あと後楽園といえば、控室のドアを壊したこともあった(笑)。試合でアタマにくることがあって「チクショー!」ってドアを殴ったら、そのままパタって倒れて。男子でも女子でも、そんなことをした人は初めてだって(笑)。