後楽園ホールアーカイブス

後楽園ホールの格闘史(~2009年)

1952年~1969年

ボクシング プロレス
1965年 6月3日 東京五輪バンタム級金メダリストの桜井孝雄がデビュー。ベテランのアトム畑井との6回戦、桜井は2回にダウンを奪って大差の判定勝ちを収めた。3年後に世界王座にも挑んだが、判定で敗れてしまった。
1965年
ジャイアント馬場、日本プロレスの新エースとなる。
1966年 9月29日 ハワイ生まれの日系三世、藤猛は、ハンマーパンチと名づけられた豪快なKOパンチでブームを巻き起こした。ロッキー・アラーデの持つ東洋J.ウェルター級タイトルに挑んだこの一戦も空前の人気を呼び、KO勝ちを収める。藤は半年後に世界チャンピオンになる。
1966年4月
猪木、東京プロレスを設立するが、1年後に日本プロレスに復帰。
1967年 2月20日 ローマ五輪でボクシング競技日本初のメダル(銅)を獲得した日本フライ級王者、田辺清が、WBA世界同級王者のオラシオ・アカバロ(亜)とノンタイトルで対戦。6回TKO勝ちの大殊勲を上げる。だが、網膜はく離のためにこの一戦を最後に引退。悲運の拳豪と呼ばれた。
1968年 6月13日 鋭いパンチで「精密機械」と呼ばれた沼田義明。小林弘との日本人同士初の世界戦で世界J.ライト級王座を失ったが、韓国の徐強一と対戦し、窮地を一発のパンチで逆転した。その2年後、再び世界王者に返り咲く。
1968年2月
ジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲コンビがホールでも人気を集める。71年12月まで日本プロレス第2期黄金時代を生んだ。
1968年6月
全日本女子プロレスが発足した。
1968年9月
「キックの鬼」沢村忠が一躍注目を浴び、キックボクシングが大ブームになる。
11月18日 無名のまま米国に渡り、ロスでWBA世界フェザー級チャンピオンとなった西城正三の凱旋帰国第1戦。比国王者のフラッシュ・ベサンデの重いパンチに大苦戦したが、8回に逆襲の連打で逆転KO勝ち。西城の『シンデレラ・ストーリー』は、日本でもドラマチックなスタートを切った。
1969年 1月15日 のちのフェザー、J.ライト級の世界チャンピオン、柴田国明が、ハーバート康(韓)の持つ東洋フェザー級王座に挑んだ。柴田は一方的な攻勢をかけるが、6回、康のアッパーカット一発でダウン。康の強打は日本のボクシングファンを震撼させた。
1969年
日本テレビに続いてNETテレビ(現・テレビ朝日)もプロレス中継を始める。
7月23日 日本J.フェザー級タイトルマッチは、前チャンピオンの清水精が、チャンピオンの中島健次郎をノックアウトする。両者はこの一戦を含めて3度対戦して、いずれも最初にダウンされた選手が逆転KO勝ち。3戦まとめる形で、最高試合賞に選出された。
12月14日 日本、タイ、東洋とチャンピオンを連覇して躍り出たホープ、大場政夫が、WBA世界フライ級王者バーナベ・ビラカンポとノンタイトルで対戦。20歳の若武者は歯切れのいいワンツーパンチで王者を圧倒し、判定勝ちを手に入れた。大場は10ヵ月後、タイのベルクレック・チャルバンチャイをKOで倒して世界王座に 登りつめ、その後5度の防衛を成功させる。しかし、1973年、世界チャンピオンのま ま交通事故で死去する。
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  • 写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン
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