後楽園ホールアーカイブス

後楽園ホールの格闘史(~2009年)

1970年~1979年

ボクシング プロレス
1975年 3月2日 のちに世界チャンピンとなる工藤政志が尾崎信雄を10R判定で敗り、日本ミドル級タイトルを獲得。以後7度の防衛戦を後楽園ホールで成功させた。
1975年3月~76年
女子プロのマッハ文朱が人気を呼ぶ。
3月2日 初代日本J.フライ級王座決定戦は史上有数の名勝負になる。身長145センチの天龍数典のシャープなパンチが光るが、対戦相手の渡辺功も前進をやめず、ダウンの奪い合い。判定は僅差で天龍に下ったが、ファンの興奮はいつまでも続いた。
1976年 10月2日 日本ミドル級王者フラッシャー石橋が東洋ウェルター級王者の龍反町とノンタイトルで対決した。立川基地に勤める黒人の石橋は反町を打ちまくったが、一瞬のスキをついて反町の右ストレートが炸裂。石橋は足を折りたたむように崩れ落ちた。
1976年2月
ビューティ・ペアが結成され、77年には人気が爆発。以後、空前の女子プロレスブームが巻き起こる。『かけめぐる青春』の歌を聞いてホール内でも失神する女子高生が後をたたなかった。
12月14日 WBC世界フライ級王座を手放して以来6勝(すべてKO)1敗の成績を誇っていた小熊正二が、中堅の触沢公男と対戦。触沢の粘り強いアタックで8回に打ち倒されてしまった。小熊はこの一戦から3年後、大熊と名前を変えて世界王座に復帰する。
1977年 12月3日
~4日
日本ボクシング・コミッション創立25周年記念第1回チャンピオンカーニバル、2日間で9つの日本タイトルマッチが行われる。
1977年
新日本プロレスに前田日明が入門、78年にデビューする。
4月10日 用皆政弘対中根光幸のライト級10回戦も激闘だった。アマチュア出身ながら一撃の強打を持ち味にした用皆と、ハワイ帰りの技巧派、中根は真っ向から打ち合い、ともにダウン寸前になること数え切れず。10回、用皆は中根に猛打を浴びせてKO勝利を手に入れた。
1978年 4月28日 日本ウェルター級タイトルマッチは、世代交代を告げる一戦だった。12度の防衛に成功してきた辻本章次と、アマチュアから転向後6戦6KOの亀田昭雄の顔合わせ。ふたりのサウスポーの対戦は、21歳と辻本より8歳年少の亀田の若さが爆発し、初の王座に輝いた。
1978年
藤波辰巳が台頭。
5月25日 のちに世界チャンピオンとなる友利正のデビュー戦が行われ、高橋金美に4R判定勝ちする。
6月6日 アマチュア五輪代表のエリート、瀬川幸雄は中堅の国重講司と対戦。だれもが予想したとおり瀬川のワンサイドだったが、最終10回の終盤国重に逆転KOされ、ドラマチックな結末を迎えた。
12月28日 のちに世界チャンピオンとなる渡嘉敷勝男のデビュー戦が行われ、浜田信男に4R判定勝ちする。沖縄出身の渡嘉敷は具志堅の後継者として3年後、具志堅が失った世界J.フライ級王座を奪回する。
1979年 4月26日 三原正がプロ5戦目で東洋太平洋J.ミドル級タイトルに挑戦し、韓国のチャンピオン、林載根にKO勝ちする。5戦目での東洋太平洋王座奪取は、日本人としては史上最短記録。三原は3年後世界チャンピオンとなる。
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  • 写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン
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