後楽園ホールアーカイブス

後楽園ホールの格闘史(~2009年)

1980年~1989年

ボクシング プロレス
1985年 5月9日 WBA、WBC両方で世界J.バンタム級王者となった名選手、渡辺二郎が、唯一、東京で行った世界タイトルマッチ。フリオ・ソト・ソラノ(ドミニカ)との一戦は無難にポイントを集めた渡辺の判定勝ち。渡辺はこの勝利でWBC2度目の防衛、WBA王者時代から通算すると世界戦10連勝をマークした。
1986年 1月9日 日本J.ウェルター級タイトルマッチ、チャンピオンの田名部雅寛に、平仲明信が挑んだ10回戦。けた外れのパワーで平仲がチャンピオンを追い詰める。6回、痛烈な右が炸裂して田名部はダウン。のちの世界王者、平仲のこれがプロ4戦目だった。
1986年8月17日
ジャパン女子プロレスが後楽園ホールにて旗揚げ。メインイベントとして神取忍のデビュー戦(対ジャッキー佐藤)が行われた。
1月23日 日本最初のストロー級(現ミニマム級)の試合が行われた。この日がデビュー戦の井岡弘樹、そして寄特由紀雄の4回戦。17歳になったばかりの井岡は、長身からの伸びのいいパンチで寄特を3回KOに討ち取る。井岡は22ヵ月後、18歳の若さで世界チャンピオンにとなる。
9月25日 A級ボクサー賞金トーナメントは、熱心なファンの喝采を浴びた。メインイベントともなったバンタム級決勝は高橋直人(後にナオト)と島袋忠司。不敗のまま台頭してきた高橋の左フックで島袋の体がキャンバスに落ちる。
1987年 1月12日 日本フェザー級王座決定戦、前チャンピオンの杉谷満対飯泉健二のKOシーンも印象的なものだった。最初の2ラウンド、一瞬やや勝負をはやって打って出た飯泉に、杉谷の強烈な右で決着。前のめりに倒れた飯泉は、そのまま立てなかった。
1987年11月
前田日明がホールでの試合で長州力の顔面を背後から蹴り、長州力は右前頭底骨を骨折。前田は事実上、永久追放となった。
1988年 4月18日 のちに世界チャンピオンとなる鬼塚勝也のデビュー戦が行なわれた。対戦相手の秋山昭次を1RKOで飾る。
1988年5月
85年に一度崩壊したUWFが前田追放を機に新UWFとして復活。後楽園ホールで旗揚げされた。
5月16日 バンタム級8回戦に登場した薬師寺保栄は岡部繁を相手に接戦を展開したが、判定負け。薬師寺はのちにWBC世界バンタム級チャンピオンになり、なおかつ人気絶頂の辰吉丈一郎に土をつけるような名ボクサーになろうとは、まだ誰も予感できなかった。
12月21日 東日本新人王戦フライ級決勝は、魅力的な新星が激突した。川島郭志、ピューマ渡久地とも高校ボクシング界のエース。攻めに徹する渡久地と、巧妙な守りからカウンターを狙う川島の息詰まる熱戦が続き、最終6回。渡久地が川島をノックアウトする。川島は後の世界王者、渡久地も日本王座に駆け上った。
1989年 1月22日 マーク堀越対高橋ナオトの日本J.フェザー級タイトルマッチは、文字通りの死闘だった。逆転に次ぐ逆転で9回、高橋ナオトがマークを沈める。
1989年
大仁田厚がFMWを旗揚げ、金網電流爆破マッチという試合を生み出す。ホールでも金網マッチが話題を呼ぶ。その後、新団体が乱立し、プロレスの新時代を迎えた。
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  • 写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン
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