後楽園ホールの格闘史
2000年~2009年
2000年 | 2月21日 |
日本ライト級チャンピオン、リック吉村は、注目の新鋭、大嶋宏成と防衛戦を戦った。勝てば21度防衛の日本新記録。終始リックのペースで大差の判定勝ちを収める。吉村は防衛記録をこの後22度に伸ばしたが、このレコードは当分破られそうにない。 ![]() リングでの更正を図った新鋭大嶋が単調に大振りのパンチを狙ってくるのに対し、リックは冷静にボクシングのレッスンを施していく。大差の判定は当然だった。 |
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2002年 | 1月5日 |
S.ライト級ノンタイトル10回戦。2000年10月の世界挑戦で畑山隆則に敗れた坂本博之が、1年3ヶ月ぶりのリングに立ち、初回KOで再起戦を飾った。この日、復帰を願ったファンでホールは超満員。人気の高さを見せた。 |
2003年 | 1月13日 |
WBC世界スーパー・フェザー級タイトルマッチが行われ、王者のシリモンコン・シンワンチャー(タイ)が、元WBA王者の挑戦者、崔龍洙を退けて初防衛に成功した。チャンスを求め日本に移籍した崔だったが、悲願の世界王座返り咲き成らず。往年のラッシング・パワーは消えていた。 ![]() 韓国の虎崔龍洙(左)とタイの貴公子シリモンコン・シンワンチャー(右)という外国のトップ選手同士の対戦が、日本のボクシングの殿堂で実現した。結果は、シリモンコンが崔の挑戦を大差の判定で撃退し王座初防衛に成功した。 |
12月8日 |
新井田豊がパランチャイ・ソーウォラピン(タイ)とのノンタイトル10回戦で1回にダウンを奪われながらも5回逆転のTKO勝ちを収める。新井田は、2001年に無敗のままWBA世界ミニマム級王座に駆け上がった直後、「達成感」を理由に引退。その後、02年7月に1年11ヶ月ぶりの世界戦タイトルマッチでリングに復帰し、プロ初黒星を喫していた。 |
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2004年 | 1月10日 |
WBC世界ミニマム級タイトルマッチで同級3位のイーグル赤倉が、王者ホセ・アントニオ・アギーレに判定勝ちで王座奪取に成功。タイから来日して2年9ヶ月、第二の故郷日本で「最初で最後のチャンス」をものにし、世界の頂点に上り詰めた。 ![]() 日本ジム所属の輸入ボクサーとしては4人目の世界王者となったイーグル赤倉。無傷の12連勝での奪取は、勇利アルバチャコフの13戦目を抜く史上最速となった。 |
12月18日 |
WBC世界ミニマム級王者でタイ出身のイーグル京和が、挑戦者イサック・ブストス(メキシコ)を相手に2度目の防衛戦に臨むも3回に右肩を負傷し、続く4回に試合を棄権。TKO負けを喫した。 |
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2005年 | 8月6日 |
前年の防衛戦で骨折し、世界王座から陥落していたWBC世界ミニマム級のイーグル京和が、復帰第1戦で世界再挑戦。王者高山勝成を判定で破り、王座に返り咲いた。 |
2006年 | 3月18日 |
日本ミニマム級の王座奪取に挑戦した前WBC世界ミニマム級王者の高山勝成が、小熊坂諭に負傷判定勝ちを収めた。元世界王者の日本王座獲得は、1982年に元WBA世界Sウエルター級王者、三原正が達成して以来、史上2人目の快挙。 |
5月6日 |
WBC世界ミニマム級王者のイーグル京和が、ロデル・マヨール(フィリピン・三迫))を判定で降し、2度目(通算3度目)の防衛に成功した。 ![]() 日本のジムに所属する外国人選手同士による初めての世界戦だった。 |
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2007年 | 3月19日 |
WBA世界フライ級タイトルマッチで同級3位の坂田健史(協栄)が、王者ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)に3ラウンドTKO勝利を収め王座奪取に成功。 |
7月18日 |
WBC世界フライ級タイトルマッチで同級6位の内藤大助(宮田)が、王者ポンサクレック・ウォンジョンカム(タイ)に判定勝ちを収め王座奪取に成功。内藤にとっては同王座への3度目の挑戦での初戴冠だった。 |
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2008年 | 2月28日 |
この年からJBC(財団法人日本ボクシングコミッション)が認可を開始した女子プロボクシングの第1回プロテストが行われ、22名の女子プロボクサーが誕生。また、5月9日には初の女子プロボクサーだけによる興行「G Legend JPBA 女子プロボクシング立上げ記念興行」が開催された。さらに、8月11日には国内では初となる女子の世界タイトルマッチが2試合行われ、WBC女子世界アトム級タイトルマッチでは挑戦者の小関桃(青木)が王者のウィンユー・パラドンジム(タイ)を2ラウンドKOで下し、王座奪取に成功した。 |
2009年 | 2月26日 |
WBA女子世界スーパー・フライ級タイトルマッチで同級1位の天海ツナミ(山本)が、王者ツァン・シーイエン(中国)に判定勝ちを収め王座奪取に成功し、富樫直美(ワタナベ)、小関桃(青木)に続き3人目の国内女子世界王者となる。 |
3月14日 |
WBC世界フェザー級タイトルマッチで同級3位での粟生隆寛(帝拳)が、王者オスカー・ラリオス(メキシコ)に判定勝ちを収め王座奪取に成功。前年の10月に同王座に挑戦するも判定で敗れていただけに、再戦での戴冠だった。 |
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6月26日 |
初代王者を決めるOPBF東洋太平洋女子ライト・フライ級王座決定戦が同級1位の菊地奈々子(白井・具志堅スポーツ)と同級2位の江畑佳代子(ワタナベ)の間で行われ、菊地が判定勝利を収め、初代王者となった。なお、9月21日にはスーパー・フライ級王座決定戦で藤本りえ(協栄)が、10月12日にはフライ級王座決定戦で四ケ所麻美(フラッシュ赤羽)がそれぞれ勝利を収め、OPBF東洋太平洋女子の初代王者となっている。 |
2000年 | 1月31日 |
ジャイアント馬場、「一周忌追悼興行」が行われた。 |
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7月2日 |
全日本の後楽園大会に天龍源一郎が出現。10年ぶりの古巣復帰を果たす。 |
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8月5日 |
三沢光晴がディファ有明でプロレスリング・ノアを旗揚げ。 |
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2001年 | 3月2日 |
橋本真也が両国国技館でプロレスリング「ZERO-ONE」を旗揚げ。 |
2002年 | 11月12日 |
"革命戦士"長州力が新団体「FIGHTING OF WORLD-JAPAN」を設立。 |
2005年 | 3月26日 |
スーパーバイザーに前田日明を迎え、総合格闘技イベント「HERO'S」が旗揚げする。 |
4月10日 |
結成10年目を節目に、長与千種率いる女子プロレス団体「GAEA JAPAN(ガイアジャパン)」が、旗揚げ戦と同じ場所でもある後楽園ホールで団体を解散。 |
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7月11日 |
闘魂三銃士の一人、橋本真也が急逝。 |
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2009年 | 6月13日 |
プロレスリング・ノアの社長、三沢光晴が急逝。 |
写真提供:東京ドーム/ボクシング・マガジン
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