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ザ・インタビュー

神取忍 「何度やっても後楽園ホールの試合は独特の緊張感がある」

それは常識が覆された瞬間だった。1986年8月17日。女子柔道全日本選手権3連覇の実績を引っさげてプロレス界入りした神取忍は、メインイベント出場という破格のデビューを果たす。当然、業界に軋轢を生んだ。いわく「いくら柔道が強くたって、プロレスは簡単にできるもんじゃない」。だが、神取は試合内容でそんな声を黙らせたのだった。これまでの女子プロレスにはなかった力強さ、迫力、そして緻密な格闘テクニック──。女子プロレスのスター=少女たちのアイドルという固定概念は、神取によって破壊された。
それ以後、神取が繰り広げたのは凄惨なケンカマッチであり、チェーンデスマッチであり、バーリ・トゥード(ポルトガル語で"全て有効"を意味するブラジル発の格闘スタイル。目潰し、噛み付きなど必要最低限の反則以外は"なんでも有り"で行われる)だった。そのすべてが"女子では初"の冠付き。そして極め付けは男子プロレスラーとの壮絶な死闘。神取のプロレス人生は、そのまま「そんなことできっこない」という"常識"との闘いでもあったのだ。

デビュー戦が後楽園ホール あの緊張は今でも忘れない

後楽園といって今でも思い出すのは、ジャッキー佐藤さんと闘ったデビュー戦だね。ジャパン女子の旗揚げ戦のメインイベント。結果的に「今だかつてない名勝負」なんて評価をしてもらったけど、それは華やかなものだけじゃなく、格闘技として、"闘い"として見せることができたからじゃないかな。それまでの女子プロレスは、より派手に見せるのが当たり前だったけど、私とジャッキーさんがやったのは、お互いスキを見せない闘いだった。それが新しかったんじゃないかな。肉体的なアスリートとしての完成度、パワーも女子のレベルを超えてたと思うよ。結局、私が負けたんだけど、デビュー戦で20分以上も試合して、その間ずっとお客さんの目を引き付けることができたっていうのは自信につながったんだ。

その反面、試合前の軋轢もあってね。柔道から鳴り物入りで入ってきて、しかもデビュー戦がメインでしょ。やっぱり業界内、選手や関係者にはおもしろく思わない人が多かったんだね。「あいつが(プロレスを)できるわけないよ」って。この世界は「練習生から入って付き人やって、下積みから叩き上げるのが女子プロ」という常識があったから。当時は全日本女子しかなくて、ひとつの価値観しかなかったしね。でも私は「そんなの関係ないよ。試合でそれを見返してやろう」っていう気持ちが強かった。いま思えば「ザマーミロ!」って感じだよね(笑)。

試合ももちろん緊張したけど、後楽園ホールという会場そのものの緊張感が今でも頭に残ってる。四方八方どこでも見やすい、あの雰囲気は独特だよね。何回やっても、それだけは変わらないね。もうデビューして15年もたつのに、未だに慣れないもん。今でも月イチくらいで出てるんだけど、緊張感は失われないんだよね。また客席もね、いつも来てくれる常連さんがいるんだ。結構リング上からでも分かるのよ。常連さんっていうのは、目が肥えてるわけでしょ。そういう人たちの前でヘタな試合はできないし、いつもと同じ試合をしてたら飽きられちゃう。そういう部分でも後楽園は緊張感があるのかもしれない。

やっぱり後楽園はこの世界の中心っていうか、外せない部分があるよねぇ。ボクシングの聖地ってよく言われてるけど、プロレスにとっても聖地だと思うよ。私にとってはデビューから一番多く試合した場所でもあるし…。LLPWの旗揚げ戦も後楽園ホールでやってるんだよね。あのときはメインで風間ルミと対決したんだけど(1992年8月29日。神取が勝つ)、今年はLLPW10周年という節目の年にあたるから、後楽園は特別な場所なんだ。
会場入りして練習した後は、控室の畳のスペースで横になって出番を待つっていうのがいつものパターン。で、いざ試合の時に、花道に続いている階段を昇りながら精神を集中するというか、人格が変わるね(笑)。
あと後楽園といえば、控室のドアを壊したこともあった(笑)。試合でアタマにくることがあって「チクショー!」ってドアを殴ったら、そのままパタって倒れて。男子でも女子でも、そんなことをした人は初めてだって(笑)。

いつも考えてたのは、女子プロレス界の枠を壊したいってこと

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“お客さんの存在を近くに感じる 見る側としても特別な会場。私も見ているだけで緊張する。選手とお客さんの一体感は。後楽園ホールが群を抜いているよ。”

今までで印象に残っている試合というと……。例のジャッキーさんとの試合。[※87年7月18日、かねてから遺恨のあったジャッキー佐藤と対戦した神取は、相手の顔面へパンチを叩き込んで戦意喪失に追い込んだ上、アームロックで負傷させる。プロレスの範疇を超えた試合内容は"ケンカマッチ"、"制裁"と呼ばれた]今の時代だったらなんてことないんだよ(笑)。バーリ・トゥードがあるんだからさ。顔が腫れただの関節技でケガしただのは普通だもんね。ま、ちょっと時代の先端を行きすぎたかな(笑)。

で、ホントにバーリ・トゥードをやっちゃったのがLLPW主催の『L-1』。女子のバーリ・トゥード大会は世界でも初めてだったんだよね。あの時も言われたんだよ、「女子にはできっこない。危険すぎる」と。でもやったからね、私もほかの選手も。金網の中で顔面ボッコボコに殴り合って、首絞めて、関節極めてね。ファンもマスコミも驚いてたけど、私としては「してやったり」だよ。1回戦と準決勝はタックルからのスリーパーでセオリーどおりに勝ったんだけど、決勝で(体重120キロ、バルセロナ五輪ベスト8の柔道家、グンダレンコ・スベトラーナに)負けて、私自身は精神的にダメージが大きかったけどね。世界中から一流の選手を集めたから、会社の採算的にも大ダメージになったんだ(笑)。

あとは天龍(源一郎)さんとの試合。ミックスト(男女混合)マッチをエキシビジョンじゃなくて公式戦でやってるから。しかも私がやると全然違和感がない(笑)。闘うのに男も女も関係ないからさ、私は全力で向かっていった。天龍さんもそれに応えてガンガンきてくれてね。グーで殴られて、顔面も蹴っとばされて、顔が三倍くらいに腫れちゃってさぁ。最後はタオル投入でTKO負け。でも逆に「男でもあそこまで激しい試合はしないだろう」って言われて、怖いものがなくなったよ。相手は馬場さん猪木さんの両方からフォール勝ちした唯一の選手だもん。得るものは大きかったよね。
「やっぱり上には上がいるなぁ」と。男と同じ基準で強さを考える女子の選手はいないって? そう言われればそうだね(笑)。でも私はプロ入りした時から、男子プロレスを意識してきたんだ。女子プロレスを参考にしたら、それを超えられなくなっちゃうでしょ。「女子プロに入ったんだから女子プロ見なきゃダメだよ」なんて言われたけど、大きなお世話だって、そんなもん。

いつも思ってたのは、女子プロレスの枠を壊したいっていうこと。特に強さの追求っていう意識は、ほかの女子プロレスラーよりもあると思うよ。もともと柔道出身ってこともあるし、最初に「プロとは何ぞや」というのを教わったのが新日本プロレスの山本小鉄さんだったから。新日本プロレスは"キング・オブ・スポーツ"の看板を掲げてきた団体でしょ。私も当然「プロレスラーは一番強くなくちゃいけない」という意識を持ったし。それが、後に藤原(喜明)さんに関節技を教わったことにも繋がっていくんだろうね。

みんなと違うことをやってるから、もちろん批判はあるでしょ。「女子プロレスはそういうもんじゃないだろう」ってね。たしかに女子プロレスは、普通のスポーツとは違う世界。プロレス界に入った時、「なんだこの世界は!?」って思ったもん(笑)。そんな中で「自分は自分」と思いながらやってきたから"場外乱闘"は多かったよね、試合以外での(笑)。フリー宣言したのも業界初だったしね。団体と自分で交渉して、試合とかギャラを決めるの。そりゃ騒がれたし、問題児と思われたけど、ほかのスポーツの世界じゃ当たり前のことだからね。

女子プロレス界のフィクサーになってグチャグチャの業界を立て直したい

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“プロ入りした時から、男子プロレスを意識してきた。女子プロレスの枠を壊したいって。特に強さの追求って意識は、他の女子プロレスラーよりもあると思うよ。”

将来の目標はね、女子プロレス界のフィクサー(笑)。「フィクサーって影で支配する人なんだから、あなたみたいに表に出てちゃダメじゃない」って言われるんだけどね。団体がいくつもあって、女子プロレス界がこれだけ渾沌としてる中で、最終的には統一したいなと思って。「辞めました。他の団体に行きました。でもまた戻ってきました」なんてことがまかり通ってて、グチャグチャだからね、この業界は。道理とか筋がまったく失われてるんだよ。プロとアマの基準も、しっかり作っていかなきゃいけない。「なんであの程度でプロになれたの?」って子も多いしね。LLPWでも、若い子の育成とか、デビューさせる基準とか、そういうのはキッチリしていきたいね。

だけど、アウトローとか問題児とか言われていた私が、よくここまでになったよね(笑)。「女子プロレス界をちゃんとした世界にしたい」なんて偉そうに言っちゃって(笑)。やっぱり環境なのかな。ジャパン女子が崩壊して、仲間とLLPWを作っていく中で、私も変わってきたんだと思う。業界外の人でも、支えてくれる人、応援してくれる人といっぱい出会えたから。これまでプロレスをやってきて、何が大きかったかと言ったら、そういう人たちとの出会いだと思うよ。自分たちが作った団体だっていうのも大きいかもね。もちろん責任のある立場だけど、それだけに愛着もあるし、やったらやっただけの成果が見えるじゃない。それが私の性格に合ってるんだよね。

いち選手としては、女子プロレスを究めてみたい、完成させたいって目標もあるんだ。「これが女子プロレスだ!」っていう答えを探してるんだと思うんだよね。プロレスラーの価値とか評価って、勝敗に関係ないじゃない。負けたら終わりじゃなくて、そこからドラマが続いていくんだ。それは格闘技、柔道の頃は味わえなかった刺激だし、難しい部分でもある。他のスポーツはお客さんなしでも成り立つじゃない。対戦者同士と、あとは審判がいれば最低限できるわけだから。でもプロレスはそうはいかないんだよね。お客さんの目があって初めてプロレスだから。

そう考えると、後楽園ホールってホントによくできた会場だなって思うよね。お客さんの存在を近くに感じるんだもの。擂り鉢状で、どこからでも見やすくて。見る側としても特別な会場じゃないかな。私もボクシングで知り合いが試合する時とか、女子プロレスでも他の団体の興行を客席で見るんだけど、すごく緊張するんだよね。自分が試合してるみたいな感じ。見てるだけなのに、終わったらドッと疲れが出ちゃう(笑)。選手とお客さんとの一体感は、後楽園ホールが群を抜いてるよね。
後楽園でやってきた歴史、時間の積み重ねも重要だよね。プロレスラーって、後楽園のお客さんの視線に鍛えられながら成長するんだと思う。まだ後楽園ホールに来たことがないファンは、一回でいいから来て、その臨場感を味わってほしいな。遊園地で遊んだついででもいいからさ。ジェットコースターとはまた違ったスリルがあるから(笑)。

神取にインタビューして思ったのは「なんて真っ当な考えの持ち主なんだろう」ということだ。彼女が口にする言葉は、どれもこれも筋の通ったことばかりだ。神取はファイトスタイルでも業界での生き方という面でも多くの軋轢を生んできた。でもそれは、神取が閉鎖的かつ独自の社会である女子プロレス界で、あまりに真っ当に、筋の通らないことを嫌って生きてきたからではないか。
デビュー戦がメインというのはたしかに尋常じゃない。でも実力があるんだからいいじゃないか。女子がバーリ・トゥードなんて危険? 強さを究めるのに男も女もないんだよ。

「誰よりも強くありたい」、「女子プロレスを世間に通用するジャンルにしたい」。そんな神取の思いは、考えてみれば実に真っ当なものなのだ。
(インタビュー 2002年1月30日)

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1986年8月17日、新団体「ジャパン女子」の旗揚げ戦でデビューした神取忍。スリーパーでジャッキー佐藤を追いつめ、後楽園ホールの観客に強さをアピール。話題を呼んだ。

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24分36秒、バックドロップからのエビ固めでフォール負けしたが、観客をくぎづけにした神取の力強さには、惜しみない拍手が贈られた。歴史に残る名勝負のひとつとなった。

写真提供/ボクシング・マガジン

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神取忍:プロフィール

かんどり しのぶ 本名・神取しのぶ。
1964年11月3日、神奈川県生まれ。173cm、75kg。柔道で全日本選手権3連覇、福岡国際2位、世界選手権3位の実績を持つ。1986年に新団体ジャパン女子プロレスに入団し、同年8月17日、ジャッキー佐藤戦でデビュー。その後フリーを経て、風間ルミらとともにLLPWを設立。主な獲得タイトルはLLPW認定シングル王座、WWWA世界シングル王座など多数。TV、ラジオ、映画など多彩な芸能活動でも知られる。

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