後楽園ホールアーカイブス

ザ・インタビュー

高橋ナオト 「激闘だったマークとの一戦、感動したと言われればうれしい」 逆転に次ぐ逆転のKO劇を演じ、多くのファンを熱狂させた「逆転の貴公子」、高橋ナオトさん。世界チャンピオンの夢こそかなわなかったが、彼もまた後楽園ホールが生んだヒーローであり、いまだに語り継がれる名勝負を残してくれた――。

見ていておもしろい それが理想のボクシング

後楽園ホールは、自分の居場所みたいなもの。23試合やってるうちの21度がここ。応援に来てくれた友達もすぐにみつけられました。

そう、ほかにもノーリー(ジョッキージム)との試合もあります。マーク戦から4ヶ月後に、やはり後楽園ホールでタイのチャンピオンと戦ったんですが、あのときも逆転KO勝ちでした。2ラウンドにダウンされて、とことん効いてしまったんです。足を踏ん張ることも難しかったんですが、次の3ラウンドで倒しました。マークのときも『逆転の貴公子』と一部で言われたようですが、みんなにそういうニックネームで呼ばれるようになったのは、このときからです。それだけ、ぼくのボクシングに、ファンの人が喜んでくれた証拠じゃないんですか。

だいたい、プロボクシングは倒すか倒されるかが、魅力のすべてだと考えています。お金を払って見に来てくれるファンに対して、とにかくエンターテイメントに徹して、見ていておもしろい試合をする。ぼくの理想です。マークとの一戦はまさに、その理想に近いボクシングじゃないかと思います。
 それに、そもそもぼくは目立ちたがり屋ですからね。目立とう精神だけでした。4回戦のときからずっと。全部のラウンドで、ぼくはKOを狙っていました。打ち合って派手に倒したい、そして注目されたい、とそれだけを考えて戦っていました。

教えてくれていた会長(故阿部幸四郎氏=アベジム会長)は、フットワークを使って距離をとったりして、守ることが大事だといつも言っていましたが、ぼくの考えは初めから違っていました。あのころはまだ子供でしたから、なかなか自分の意志を通すことはできませんでしたが。
 だって、玄人好みの技巧とか、そういうものに興味があるのは、ボクシングファンの1%くらいでしょう。あとの99%は派手なKOや、見ていてハラハラするような激しいパンチの応酬が好きなんだと思います。となれば、試合に勝つためならなりふりかまわずに守ってばかり、ポイントだけ稼ぐような戦い方をして、たとえ20連勝や30連勝しようとも、評価されるでしょうか。プロとして、難しいボクシングは意味がないんじゃないですか。
 それに、本音を言うと、ボクシングを見ることはそんなに好きじゃないんです。見るんだったら、プロレスの方です。プロレスにはけっこう詳しいんですよ。後楽園ホールにもボクシングの試合よりたくさん行っているでしょうね。

ボクシングについて興味があったのは、自分自身がやることについてだけです。だから、ぼくはうそをついてますね。引退した後、『ボクシング・ジャンキー』という自身のボクシング論を書いて、ナンバー・スポーツノンフィクション新人賞をもらっているんですが、本当はボクシングではなくて、高橋ナオト・ジャンキーなんです。教える立場になった今も、練習生に指導するとき、いつも見比べているのはぼく自身です。
 そういうぼくにとって、ボクサー時代の後楽園ホールは、自分の居場所みたいなものでした。23試合やってるうちの21度がここでのものですから。観客席が近くにあって、応援に来てくれた友達もすぐに見つけられるし、なぜか安心感がありました。

ノーリーとの再戦(1990年2月11日)に負けたのは、後楽園ホールでの試合ではなかったせいかもしれません。あのときはマイク・タイソン対ジェームス・ダグラスの世界ヘビー級タイトルマッチの前座として、東京ドームでやったんです。
 5万人以上もの観客を集めるわけですから、当然すごい会場であるわけで、そこで戦えるのは晴れがましくあります。さらにもしこの試合に勝ったら、世界に挑戦できるという話も聞いていました。でも、どういうわけか緊張感が沸かなかったんです。あまりに広すぎて、いつも見える友達の顔が見えない。声援も聞こえてこない。だからだったんでしょうか。試合が始まってからも調子が出なくて、ノーリーに6度もダウンを奪われて判定負けしたんです。