東京ドームの歴史(~2005年)
第1期 黎明期 1937年~1945年
column01 日本初、プロ野球のメッカ誕生
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列をつくる人々
昭和9年、日本ではじめてのプロ野球チーム、大日本東京野球倶楽部(現在の巨人軍)が設立された。
そして程なくして東京市内に野球専門の新しい球場を作ること、そして球場付属の球団をつくるという気運が高まり、後楽園スタヂアムが誕生することになる。
期待の新球場は昭和12年9月11日に開場式が行われた。それに引き続き、午後1時55分からは紅白オールスターが行われ、巨人の水原茂が後楽園スタヂアム初のホームランを放った。
それまで神宮球場が東京六大学野球のメッカとして人気を博していたが、後楽園スタヂアムはこの後、プロ野球巨人軍の本拠地として、そして昭和13年からは、第12回全国都市対抗野球大会が後楽園で初めて開催されることになり、以後、現在に至るまで、後楽園で行われる都市対抗野球は「夏の風物詩」としての意味合いを持つようになった。
戦前も巨人軍のスター選手が後楽園で美技を披露したのはいうまでもない。今もその名を轟かす沢村栄治。そして昭和13年に入団した選手たちは「花の13年組」と呼ばれ、川上哲治、千葉茂など、日本野球史の残る選手たちが入団、この年には中島治康が日本プロ野球初の三冠王を達成している。
黎明期にあった日本プロ野球界も、その人気を高め、昭和14年2月26日の巨人戦で後楽園球場は初めて満員となった。
しかし年を追うごとに日本に戦時色が深まり、選手も戦場へと駆り出されるようになった。そして19年の秋、日本野球報国会はプロ野球の一時休止を表明し、後楽園球場も「冬眠」の状態を迎える。
そして球場自体も高射砲の陣地となり、グラウンドは菜園へと変身した。後楽園球場の運命を知る者は当時、誰もいなかった。
![[写真]](/dome/baseball/fan_information/history/img/thumbnail_column_001.jpg)
生島淳/Jun IKUSHIMA
1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。在学中にFEN放送でNBAと出会う。'93年からス ポーツライターとして活動を開始し、アメリカスポーツ、相撲などを中心に執筆。著書に『NBAワンダーランド』(徳間書店)、共著に『ラグビー最前 線』(双葉社)などがある。