東京ドームの歴史(~2005年)
第3期 変革期 1965年~1987年
1965年 (昭和40年) |
東映フライヤーズ(のち日拓ホームフライヤーズを経て、日本ハム・ファイターズ)が後楽園をフランチャイズにする。 |
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1966年 (昭和41年) |
後楽園球場、内野ダイヤモンドをティフトン芝に変更。 |
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1969年 (昭和44年) |
10月 |
巨人・金田正一、後楽園の中日戦で通算400勝達成。 通算400勝を達成し、胴上げされる |
1970年 (昭和45年) |
4月1日 |
野球観覧席増設、全電光式スコアボード完成。 |
1974年 (昭和49年) |
4月 |
日拓が日本ハム・ファイターズとなって初めての後楽園での試合が行われる。 |
10月 |
後楽園で長島茂雄引退セレモニー開催。 長嶋茂雄引退セレモニー |
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1975年 (昭和50年) |
3月 |
後楽園で川上哲治の引退試合が行われる。 川上哲治引退試合 |
1976年 (昭和51年) |
3月 |
後楽園が日本初の人工芝を敷設。同時に一般向け貸しグラウンドを開始する。 |
10月 |
王貞治が後楽園での対阪神戦でベーブルースの記録を越える本塁打715号を樹立する。 |
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1977年 (昭和52年) |
9月 |
王貞治、後楽園球場で本塁打756号を達成。世界新記録になる。 通算本塁打数世界新記録を更新し、挨拶をする王貞治 通算本塁打756号を放ち、万歳をする王貞治 |
1980年 (昭和55年) |
4月 |
ミス・リリーフカー採用。 |
11月 |
王貞治現役引退セレモニーを後楽園で開催。王は巨人軍助監督に就任。 王貞治引退セレモニー |
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1981年 (昭和56年) |
3月 |
後楽園にオーロラビジョン完成。 |
10月 |
初の後楽園日本シリーズ、巨人対日本ハム戦開催。 初の同一球場シリーズを前に握手を交わす藤田元司、大沢啓二両監督 |
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1987年 (昭和62年) |
11月 |
ドーム建設のため、「さよなら後楽園球場」イベントを開催。 後楽園球場のバックスクリーン 50年の歴史を持つ野球場の解体 |