東京ドームの歴史(~2005年)
第4期 ドーム時代 1988年~
1988年 (昭和63年) |
東京ドーム完成。 |
|
---|---|---|
3月17日 |
オープニングセレモニーが開催される。 開幕戦初日は雪だった |
|
3月18日 |
こけら落としの試合として巨人対阪神戦が行われ、巨人軍・吉村禎章がホームランを放つ。 ドーム初ホームランを放ち、賞金を手にする吉村禎章 |
|
4月9日 |
入場者数100万人突破。 |
|
1990年 (平成2年) |
6月 |
対日本ハム戦で、近鉄のブライアント選手が東京ドームの天井に打球を当て、東京ドーム特別ルールに該当する初のホームランに認定された。推定距離160m。 東京ドーム特別ルール初のホームランを叩き出した、近鉄のブライアント選手 |
8月10日 |
台風11号の影響で交通機関がストップし、東京ドームが開場してから初めて公式戦が中止となる(巨人対中日戦)。 |
|
1998年 (平成10年) |
4月 |
東京ドーム来場者1億人を突破。 |
1999年 (平成11年) |
4月7日 |
西武・松坂大輔投手が東京ドームでデビュー戦。日本ハム・片岡篤史からいきなり三振を奪う。 |
2000年 (平成12年) |
3月 |
北米以外での初の米大リーグ開幕戦が東京ドームにて開催される。日本ハム、オバンドーの3発連続看板当てアーチ。 |
10月 |
巨人対ダイエー、日本シリーズ戦でON対決再び。 対決を前に握手を交わす長嶋茂雄、王貞治両監督 |
|
2001年 (平成13年) |
9月28日 |
長嶋監督が2001年のシーズン終了をもっての退任を発表した。新しい指揮官となったのは原新監督。30日の退任セレモニーではファンに惜しまれながら新しい時代へバトンタッチした。 「野球とは人生そのもの」と残した退任記者会見。新しい時代を担う原監督へバトンタッチした |
2002年 (平成14年) |
3月 |
天然芝に限りなく近い新人工芝「フィールドターフ」導入。 |
7月 |
巨人・松井選手が東京ドーム屋根膜に消える大飛球を打つ(特別ルールによりニ塁打)。 |
|
10月 |
日本シリーズ・巨人対西武。4勝0敗で原監督就任1年目にして日本一に輝く。 「ジャイアンツ愛」を掲げ巨人を率いた原監督 巨人軍は2年ぶり20度目の日本シリーズ制覇を成し遂げた |
|
2003年 (平成15年) |
3月30・31日 |
メジャーリーグ開幕戦(ニューヨークヤンキース対タンパベイ・デビルデイズ)。31日の5回には松井秀喜選手がホームランを放ち、MVPに。 |
6月7日 |
福岡ダイエーの王貞治監督が監督通算1000勝を達成 王ゲートの前で監督通算1000勝達成の記念撮影する福岡ダイエーの王貞治監督 |
|
6月8日 |
福岡ダイエー柴原洋選手のホームランがABC.ホームの看板にあたり、その当時の東京ドーム・スポンサー賞の最高賞金額である300万円を獲得 |
|
7月13日 |
アテネ五輪壮行試合開催(日本代表対・キューバ代表戦) |
|
8月17日 |
工藤公康選手が史上23人目の200勝を東京ドームで達成(巨人対広島戦) |
|
2005年 (平成17年) |
3月 |
新内野席「エキサイトシート」、新オーロラビジョン導入 エキサイトシート 新オーロラビジョン |
5月 |
巨人戦で14年振りの東京ドームでのデーゲーム |
|
7月3日 |
病気療養中だった、長嶋茂雄巨人名誉監督が1年4ヶ月ぶりに公の場に登場(巨人対広島戦) |
|
10月5日 |
巨人の監督に、原辰徳氏が3年振りに復帰 |