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東京ドームの歴史(~2005年)

第4期 ドーム時代 1988年~

column04 野球新時代へのアーチ

日本初のドーム球場。これは日本球界にとっても画期的な取り組みとなった。

アメリカでは1960年代にヒューストンのアストロドームが世界初のドーム球場として開場したが、それから約20年、ドーム球場が後楽園の地に誕生したのである。

東京ドームの記念すべき柿落としは、昭和63年3月18日、巨人と阪神のオープン戦だった。

ドーム型球場は野球の質のみならず、観客の利便性をも劇的に変化させた。まず、雨の心配がいらない。雨天順延の心配がないから、先発ローテーションの計算が立てやすく、安定した先発投手陣を揃えるのが優勝への近道となった。

また、東京ドームはフェンスが高く、球場が広いため、外野手は俊足、強肩であることが求められるようになった。長打コースの打球が飛んだ時のスリルは東京ドームならではのものだ。バッターランナーは三塁を陥れようと走り、外野手はそれを阻止しようとする。これこそ、東京ドームの醍醐味ではないか。

しかし本邦初のドーム球場ではこんな珍事もあった。どれだけ高いフライが上がっても、きっと天井には届かないと言われていたが、平成2年6月6日、近鉄のブライアントが放った打球は天井から吊り下げられたスピーカーを直撃、この一打は初の認定ホームランとなった。

また、観客にとっても「ドームでは必ず試合が行われている」という安心感があるし、雨に濡れながら観戦する心配がなくなった。その昔、せっかく修学旅行で上京しながら雨のため試合を見損ねた父親の世代はさぞ、子どもたちがドームで野球観戦しているのを羨ましがっていることだろう(ただし実際には豪雨により公共交通機関がストップし、中止になるというハプニングもあった)。

これまでの東京ドームの歴史で、もっともエポックメイキングの出来事といえば、平成12年の日本シリーズ、巨人対ダイエーのいわゆる「ON対決」だろう。かつて後楽園でV9を達成した両雄は監督同士で、日本一をかけて対決。結果は長嶋巨人に凱歌があがった。時は20世紀の最後の年、舞台は後楽園、東京ドーム。これ以上の舞台があるだろうか。

そして21世紀、東京ドームはどんなドラマを見せてくれるのだろうか。歴史を生み出すのは、この舞台こそがふさわしい。

[写真]

生島淳/Jun IKUSHIMA
1967年宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。在学中にFEN放送でNBAと出会う。'93年からス ポーツライターとして活動を開始し、アメリカスポーツ、相撲などを中心に執筆。著書に『NBAワンダーランド』(徳間書店)、共著に『ラグビー最前 線』(双葉社)などがある。

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